賞賛と非難に一喜一憂し、人の目を気にしながら生きる世間の姿には驚くばかりだ。
どうすれば褒められるか、どうすれば非難を浴びずにすむか。
そんなことばかりに注力して、日々ストレスを抱えてしまうのは、取引の世界に埋没してしまっているからだ。
社会的な人格こそが「自分」だと、強く思い込んでしまったからだ。
でもそんな自分はあくまで「自己イメージ」であって、本当の姿じゃない。
自分に向けられた反応・評価を人生の指針にしてしまうと、途端に「認めてもらえない部分を抱えた自分」と「承認欲求」が現れて、自分を矯正するようになっていく。
ありのままの自分を否定して、「周囲の期待に応える自分」を装ってしまうんだ。
(中略)
つまり、人は理想という、「自分ではないもの」になろうとすることによって、自ら苦悩の中に身を投じているってことさ。
そんな「着飾った自分」にこだわらなければ、人にどう思われようが関係ない。
皆から羨望のまなざしを向けられている誰かを思い出してごらん。
そういう人は大抵、周りの声に縛られることなく、本来の自分をありのままにさらけ出し、素直に、そして自由に生きている。
ありのままに生きているからこそ、キラキラ輝いているんだ。
それにね、仮に君が他人の目を気にしながら「周囲の期待に応える自分」を生きたとしても、それでも「あーだこーだ」と批評してくる輩はいるものだよ。
君が装っていようと、ありのままでいようと、他者は「君」を見ているんじゃない。
その人の目を通した「解釈に浮かぶ君」を見て、あれこれ言ってるだけなのさ。
(「ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』」/黒澤一樹)
最終更新日 : 2021-09-17