目覚めた後の生き方
皆様は「目覚め」とはどういうものだと思っていますか?
スピリチュアルな学びのゴールに「目覚め」があると思っている方が多いかもしれません。
私も以前は目覚めたら終了なのだと思っていましたが、そうではなくてスタート地点だったのです。
いろいろな捉え方があると思いますが、私は目覚めるということは本当の自分に気づくことなのだと思っています。
今までエゴという偽物の自分を自分であると信じていたけれど、そうではなかったことに気づくことなのだと。
その気づきはゴールなのではなくスタートであり、そこから目覚めた生き方が始まります。
そこから本当の自分、スピリットの自分として生きることを日々練習していくことになります。
そして学びは死ぬまでずっと続いていきます。
スピリットとして生きるために必須なのは、自分を無条件で受け入れていることです。
「自分が好き」と思っている人でも、本当はどれだけ自分のことをダメだと思っているのかに気づいていません(私もそうでした!)
実際、私たちは「自分はダメだ」という思い(=無価値感)を、ものすごく大量に隠し持っています。
でも多くの場合はそれに気づいていないか、見ないようにして過ごしています。
自分の好きな部分だけを見て「自分が好き」と表面的に思っているだけで、本当の気持ち(闇の部分)はどこかに隠して見えないようにしているのです。
本当に自分を無条件で愛するためには、まずは自分が本当はどれだけ自分をダメだと思っているのかに気づかなければなりません。
それはなかなか辛い作業です。
本当は見たくはないものばかりですから…
でも、自分がどんなに自分をダメだと思っていたとしても、本当にダメな人間なのではありません!
ダメだと思っている思考があるだけ、自分がそう思い込んだだけです。
それが分かれば無価値感の元になっている思考がどんどん外れていきます。
どうやって自分の無価値感に気づけばいいかというと、毎日の出来事を見ればいいのです。
隠れた無価値感が現実に投影されると、誰かにイヤなことを言われたり、イヤなことをされたりという人から愛されない体験をします。
それでも「世間にはイヤな人がいるものだ」とか「あの人はそういう性格だから」などと頭で考えて、その体験を終わらせてしまっては何も学べません。
投影の仕組みを理解し、自分が自分を苦しめるような思い込みを持っていたからそれを体験したのだということにと気づいていきたいのです。
イヤなことがあったら、必ず自分の内側に目を向けることが必要です。
最初は相手に腹を立てたり、復讐してやろうという気持ちになったりしても大丈夫です(笑)
でもその後に必ず自分の中にどんな思いがあってそのような体験したのかという捉え方をしてみて下さい。
そういう見方が出来ると自分が自分をどう思っていたのかという大きな気づきに繋がっていくはずです。
私は以前、英語の先生に「語学学習は上り坂で自転車を漕いでいるようなものだから、漕ぐのをサボるとどんどん落ちますよ」と言われたことがありました。
目覚めた後の道も同じだと思います。
一日でも漕ぐのをサボるとあっと言う間に落ちていきます。
毎日本気でスピリットとして生きる練習をしていかないと、すぐに元のエゴの在り方に戻ってしまいます。
日々のすべての出来事は、自分が自分を無条件に愛し、本当の自分として生きるために起きることです。
その目的のためにすべての出来事を上手に使っていきましょう♪
スピリチュアルな学びのゴールに「目覚め」があると思っている方が多いかもしれません。
私も以前は目覚めたら終了なのだと思っていましたが、そうではなくてスタート地点だったのです。
いろいろな捉え方があると思いますが、私は目覚めるということは本当の自分に気づくことなのだと思っています。
今までエゴという偽物の自分を自分であると信じていたけれど、そうではなかったことに気づくことなのだと。
その気づきはゴールなのではなくスタートであり、そこから目覚めた生き方が始まります。
そこから本当の自分、スピリットの自分として生きることを日々練習していくことになります。
そして学びは死ぬまでずっと続いていきます。
スピリットとして生きるために必須なのは、自分を無条件で受け入れていることです。
「自分が好き」と思っている人でも、本当はどれだけ自分のことをダメだと思っているのかに気づいていません(私もそうでした!)
実際、私たちは「自分はダメだ」という思い(=無価値感)を、ものすごく大量に隠し持っています。
でも多くの場合はそれに気づいていないか、見ないようにして過ごしています。
自分の好きな部分だけを見て「自分が好き」と表面的に思っているだけで、本当の気持ち(闇の部分)はどこかに隠して見えないようにしているのです。
本当に自分を無条件で愛するためには、まずは自分が本当はどれだけ自分をダメだと思っているのかに気づかなければなりません。
それはなかなか辛い作業です。
本当は見たくはないものばかりですから…
でも、自分がどんなに自分をダメだと思っていたとしても、本当にダメな人間なのではありません!
ダメだと思っている思考があるだけ、自分がそう思い込んだだけです。
それが分かれば無価値感の元になっている思考がどんどん外れていきます。
どうやって自分の無価値感に気づけばいいかというと、毎日の出来事を見ればいいのです。
隠れた無価値感が現実に投影されると、誰かにイヤなことを言われたり、イヤなことをされたりという人から愛されない体験をします。
それでも「世間にはイヤな人がいるものだ」とか「あの人はそういう性格だから」などと頭で考えて、その体験を終わらせてしまっては何も学べません。
投影の仕組みを理解し、自分が自分を苦しめるような思い込みを持っていたからそれを体験したのだということにと気づいていきたいのです。
イヤなことがあったら、必ず自分の内側に目を向けることが必要です。
最初は相手に腹を立てたり、復讐してやろうという気持ちになったりしても大丈夫です(笑)
でもその後に必ず自分の中にどんな思いがあってそのような体験したのかという捉え方をしてみて下さい。
そういう見方が出来ると自分が自分をどう思っていたのかという大きな気づきに繋がっていくはずです。
私は以前、英語の先生に「語学学習は上り坂で自転車を漕いでいるようなものだから、漕ぐのをサボるとどんどん落ちますよ」と言われたことがありました。
目覚めた後の道も同じだと思います。
一日でも漕ぐのをサボるとあっと言う間に落ちていきます。
毎日本気でスピリットとして生きる練習をしていかないと、すぐに元のエゴの在り方に戻ってしまいます。
日々のすべての出来事は、自分が自分を無条件に愛し、本当の自分として生きるために起きることです。
その目的のためにすべての出来事を上手に使っていきましょう♪
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