本当の自信
私は若い時、ずっと自分に自信を持てませんでした。
自分の性格や能力や何やかんや…いろいろダメだと思っていました。
だからせめて何かしら努力をしたら少しは自信が持てるのではないかと考え、あれこれ頑張ったりしました。
その結果、いろいろなことが少しずつ出来るようになったり、知識や教養などがある程度身に着いたりして、「今の私は以前よりずっといい」と思うようになりました。
「自分には自信がついた」と思ったのです。
でもある日、瞑想中に大きな気づきが下りてきました。
今まで身に着けてきた能力、知識、スキル、情報、その他…それらはまったく私自身ではなかったのです!
頑張ってきた最近の私は悪くない…と思っていたのに、ただ単に素敵な洋服を着ただけで「自分ってイケてる」と思っていたバカ者だったのだと気づき、大泣きしました。
それからは「洋服」を自分自身だと勘違いすることはなくなりました。
でもそれなら私の価値は何なんだろう?
私の慈愛の部分なのかもしれない…とか、
きっと私は存在するだけで価値があるのだ…とか、
どこかで聞きかじったようなことをいろいろと考えながらも、あまり何も腑に落ちてはいませんでした。
そして、ある日また新たな気づきがありました。
自分が「私」と呼んでいるこのキャラクターは、すべて丸ごと私ではなかったのです。
常に頭であれこれ考えている人(というか機能)は私ではなかったのです。
今までこういうことがあったと過去の歴史を所有している人(というか記憶)は私ではなかったのです。
本当の私は、瞑想中に会ったハイヤーセルフ…というか、それこそが本当の自分でした。
そして本当の自信はここにある、ここにしかない、と気づきました。
本当の自分でいる時、何も怖いことはなく、何でも出来るのです。
何かをするのは偽物の自分ではなくて、本当の自分の方だったのです。
それまでの私は何も本当の自分に任せず、邪魔ばかりしていたんだと気づきました。
偽物の私はどんなにいろいろなことを頑張っても決して自信を持つことはできません。
偽物の私は「自分は十分ではない」という考えがベースになっているから、そもそも自信を持つことは不可能なのです。
今でも急に偽物の私にフっと戻ってしまう時がありますが、そうすると「あれこれを何とかしなきゃ」というお馴染みの思考が浮かんできます。
でも今ではすぐに「偽物がまたいらんことを考えている」と気づけるようになり、本当の私に主導権を戻すことができます。
本当の自分として生きることはとても楽しく、とても楽ちんです。
どんなことについても、何の心配もありません。
本当の自分に目覚めるルートは人によっていろいろあると思います。
私は長い間ずっと瞑想をしてきたので、瞑想中にたくさんの気づきを得てきましたが、瞑想だけが唯一のプラクティスではありません。
きっと人それぞれ自分に合った道があるはずなので、それを使っていけばいいと思います。
ただ、何もせずに唐突に目覚めが起きるというタイプの人はそんなに多くはないと思うので、やはり目覚めたいという思いを持ち続けて、そのための準備をしていることは大事なのではないかな~と私は思っています。
自分の性格や能力や何やかんや…いろいろダメだと思っていました。
だからせめて何かしら努力をしたら少しは自信が持てるのではないかと考え、あれこれ頑張ったりしました。
その結果、いろいろなことが少しずつ出来るようになったり、知識や教養などがある程度身に着いたりして、「今の私は以前よりずっといい」と思うようになりました。
「自分には自信がついた」と思ったのです。
でもある日、瞑想中に大きな気づきが下りてきました。
今まで身に着けてきた能力、知識、スキル、情報、その他…それらはまったく私自身ではなかったのです!
頑張ってきた最近の私は悪くない…と思っていたのに、ただ単に素敵な洋服を着ただけで「自分ってイケてる」と思っていたバカ者だったのだと気づき、大泣きしました。
それからは「洋服」を自分自身だと勘違いすることはなくなりました。
でもそれなら私の価値は何なんだろう?
私の慈愛の部分なのかもしれない…とか、
きっと私は存在するだけで価値があるのだ…とか、
どこかで聞きかじったようなことをいろいろと考えながらも、あまり何も腑に落ちてはいませんでした。
そして、ある日また新たな気づきがありました。
自分が「私」と呼んでいるこのキャラクターは、すべて丸ごと私ではなかったのです。
常に頭であれこれ考えている人(というか機能)は私ではなかったのです。
今までこういうことがあったと過去の歴史を所有している人(というか記憶)は私ではなかったのです。
本当の私は、瞑想中に会ったハイヤーセルフ…というか、それこそが本当の自分でした。
そして本当の自信はここにある、ここにしかない、と気づきました。
本当の自分でいる時、何も怖いことはなく、何でも出来るのです。
何かをするのは偽物の自分ではなくて、本当の自分の方だったのです。
それまでの私は何も本当の自分に任せず、邪魔ばかりしていたんだと気づきました。
偽物の私はどんなにいろいろなことを頑張っても決して自信を持つことはできません。
偽物の私は「自分は十分ではない」という考えがベースになっているから、そもそも自信を持つことは不可能なのです。
今でも急に偽物の私にフっと戻ってしまう時がありますが、そうすると「あれこれを何とかしなきゃ」というお馴染みの思考が浮かんできます。
でも今ではすぐに「偽物がまたいらんことを考えている」と気づけるようになり、本当の私に主導権を戻すことができます。
本当の自分として生きることはとても楽しく、とても楽ちんです。
どんなことについても、何の心配もありません。
本当の自分に目覚めるルートは人によっていろいろあると思います。
私は長い間ずっと瞑想をしてきたので、瞑想中にたくさんの気づきを得てきましたが、瞑想だけが唯一のプラクティスではありません。
きっと人それぞれ自分に合った道があるはずなので、それを使っていけばいいと思います。
ただ、何もせずに唐突に目覚めが起きるというタイプの人はそんなに多くはないと思うので、やはり目覚めたいという思いを持ち続けて、そのための準備をしていることは大事なのではないかな~と私は思っています。
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